伝統的工芸品とは
伝統的工芸品は、以下の要件を全て満たし、
「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく
経済産業大臣の指定を受けた工芸品のことをいい、
2018年10月現在、全国で230品目が指定を受けています。
博多織は、帯が1976年6月に伝統的工芸品の指定を受け、
その後2011年にきもの地と袴も追加指定を受けました。
主として日常生活で使われるもの
冠婚葬祭や節句などのように、一生あるいは年に数回の行事でも、生活に密着し一般家庭で使われる場合は、「日常生活」に含みます。
工芸品は「用の美」ともいわれ、長い間多くの人の目や手に触れることで、使いやすさや完成度が向上します。また色・紋様・形は、日本の生活慣習や文化的な背景とも深く関わっています。
製造過程の主要部分が手作り
すべて手作りでなくても差し支えありません。が、製品の品質、形態、デザインなど、製品の特長や持ち味を継承する工程は「手作り」が条件です。持ち味が損なわれないような補助的工程には、機械を導入することが可能です。
製品一つ一つが人の手に触れる工程を経るので、人間工学的にも妥当な寸法や形状となりますし、安全性も備えています。
伝統的技術または技法によって製造
伝統的とはおよそ100年間以上の継続を意味します。工芸品の技術、技法は、100年間以上、多くの作り手の試行錯誤や改良を経て初めて確立すると考えられています。技術と技法は一体不可分なものですが、どちらかといえば技術は、「技術を磨く」といわれるように「一人一人の作り手の技量」「精度」に関わりが強く、技法は「原材料の選択から製法に至るノウハウの歴史的な積み重ね」に関わるものといえます。
伝統的技術、技法は、昔からの方法そのままでなく、根本的な変化や製品の特長を変えることがなければ、改善や発展は差し支えありません。
伝統的に使用されてきた原材料
3.と同様に、100年間以上の継続を意味し、長い間吟味された、人と自然にやさしい材料が使われます。なお、既に枯渇したものや入手が極めて困難な原材料もあり、その場合は、持ち味を変えない範囲で同種の原材料に転換することは、伝統的であるとされます。
一定の地域で産地を形成
一定の地域で、ある程度の規模の製造者があり、地域産業として成立していることが必要です。ある程度の規模とは、10企業以上または30人以上が想定されています。個々の企業だけでなく、産地全体の自信と責任に裏付けられた信頼性があります。
伝統工芸品のシンボル「伝統マーク」
この証紙は、伝統的工芸品産業の振興に関する法律により経済産業大臣が指定した伝統的工芸品につけられる「伝統マーク」です。
「伝統マーク」がついた製品は、生産地の組合が基準に合格しているかどうかについて厳重な検査を実施したものであり、生産者が誇りと責任をもってお届けする製品です。
福岡県には、博多織以外に6つの伝統的工芸品があります。
数百年もの長い間、受け継がれてきた技術や製法、伝統は大切にしながらも、
時代と共に変わりゆくライフスタイルに順応しながら進化を遂げてきた
これら工芸品は、今なお、暮らしを豊かに彩り続けます。
博多人形
素焼きの人形にそのまま着色することで土本来のぬくもりを感じられる博多人形。その姿は優しい雰囲気を漂わせながらも美しく、猛々しく、ときに微笑ましいものです。そして、今にも動き出しそうなほど生き生きとしているのは、職人が人形に吹き込んだ魂の表れ。構想・デッサンを繰り返しながら人形の姿を決める「原型」に始まり、人形に色を着けていく「彩色」、顔に表情を付ける「面相」など、優れた技術と惜しみない手間の結晶として生まれるのが博多人形なのです。
上野焼
上野焼の歴史は1602年にさかのぼります。茶道の礎を築いた千利休から教えを受けた豊前小倉藩初代藩主・細川忠興と、李朝の陶工・尊楷の出会いから生まれた焼き物だけに、大きな特徴は茶会に用いる「茶陶」をルーツに持つことです。また、開窯当初から、藩主が使うための特別な器を作っていたという、伝統と誇りも持ち合わせています。現在も、約400年の歴史に裏打ちされた品の良さ、格調高さを感じさせる器が次々と生み出されています。
小石原焼
1682年に筑前福岡藩・3代目藩主が、焼物を作り始めたのが起源とされる小石原焼。1669年から同地で茶陶を手がけていた高取焼との交流により発展し、陶器が作られるようになりました。小石原焼の大きな特徴は、器をろくろで回しながら刃先やハケなどを使い規則的に入れる模様です。「飛び鉋」や「刷毛目」と呼ばれる技法により、整然としながらも温かみのある柄が生まれます。どの時代も日用雑器を作り続けてきたこともあり、今なお日本全国で愛され続けています。
久留米絣
筑後地方に伝わる綿織物・久留米絣。丈夫な綿織物は仕事着に最適で、昔は各家庭で手織りされていました。農家の娘の偶然の発見により生み出されたのが、優しい風合いの柄を、織物に浮かび上がらせる技法です。綿糸を先に染めてから織ることで、微妙なズレが生じ、独特なかすれ模様となります。これが久留米絣の大きな特徴であり、魅力。現在では、伝統的な幾何学模様や藍染めだけではなく、モダンな柄、ポップな色合いの製品も多く作られています。
八女福島仏壇
八女地方は古くから仏教の信仰心が強く、今も歴史ある寺院がたくさん残っています。そんな土地柄ゆえ八女で仏壇作りが盛んになったと考えられています。製造技術が確立されたのは1850年ごろ。 その当時から彫刻、仕上など複数の職人が分業して1つの仏壇を作り上げる形がとられ、そのスタイルは現代にも受け継がれています。現在は6部門に分かれ、完成までに経る工程はおよそ80。まさに職人たちによる総合芸術ともいえる逸品なのです。
八女提灯
温かい光をたたえた、提灯。八女で作られているのは、お盆という日本独自の行事の際に飾られる照明がほとんどです。八女は昔から和紙の産地であり、竹林もたくさんありました。八女で提灯の生産が盛んになったのは、これら原料に恵まれていたからと考えられています。現代では、竹ひごや和紙を用いる提灯は少なくなりましたが、作り方は昔から大きく変わりません。八女提灯の歴史や、職人の技術の高さを温かな灯りを通して感じられることでしょう。